以前、子育てのしんどさについて、文章を書いたところ、同じように子育てをしている方々に読んでもらえて、声をかけてもらえて、とても嬉しかった。
しかし私は最近思うのだ。
この時よりも、明らかに、圧倒的に、子育てが楽しい、と感じられることが増えていると。
はっはーん、さてはこれ、子育ての一番美味しいところが今まさにやってきとるな?というような感じがする。
幸福感、というのとは違って、いやむしろこれから幸福感下がる一方やったら辛すぎるので、今が一番幸福とかは思いたくないのですが、
単純に「おもしろい」。
ゲラゲラ笑ったり、えー!と驚いたりすることが増えている、ということ。
もちろん個人差があるし、うちは一人やし、はぁ?3歳?今正にしんどさの真っ只中ですけど?という人もいるだろう当然。
それは踏まえた上で、しんどさはしんどさとして、楽しさは楽しさとして、書き留めておきたい、これもまた、他人と共有できて話が膨らんだりしたら、幸せなことですなぁ、と。
というわけで、今回はエピソードを中心に子育ての楽しさをつらつらと徒然なるままに、書いていきたいと思う次第にて候。
1.言葉について
先日、Twitterにも書いたのだが、3歳を迎えた娘の使う言葉が、日々とても興味深い。
というように、今この世界を見ながらたくさんの言葉に触れて、言葉の意味範囲を確定していく初期段階にある我が娘。
毎日、言ってしまえば「間違えて」言葉を使っているわけなのだが、まるっきり言語を取り違えているということではなく、「言葉の意味の範囲を広く取りすぎている」だけなので、ちゃんと解るんだな、私は。
そこがなんとも、おもしろい。
今、娘は、
○服を着替える
○髪の毛を結ぶ
○化粧をする
○鏡を見る
などの行動を表す時、その全てを
「かわいい、する。」
の1センテンスで賄っている。
いる場所やジェスチャーによって、何がしたいのかを私に訴えかけるという寸法である。
今時の女子高生かい、と思うような雑な表現ではあるが、この「かわいい」を「おしゃれ」に置き換えれば、なんとなく、娘の示したいニュアンスは読み取ってもらえるのではないかと思う。
なぜに「かわいい」という言葉を採用しているかと言えば、それはもちろん、これらの行動を娘がとった時に、私が「可愛い〜」と言葉をかけるからであろう。
ここで興味深いのが「化粧をする」ということも「かわいい、する」に含まれると、娘が推察しているということである。
もちろん娘は化粧をしない。
私が化粧をするのをまじまじと見たり、パフで顔を叩く仕草を真似たりするだけだ。
また、断じて、自分の化粧が終わった後に、鏡にその顔を映して「お〜可愛い〜」と自画自賛するようなことは、私は、断じて、していない。
ので、娘は状況から鑑みて、私の化粧も「おしゃれをすること」「着飾ること」の一環であると判断している、ということだ。
ん!?もしくは私の化粧のビフォーアフターを見てほんまに可愛いと思ってるんかな!?
え!?違うかな!?違うか!!!
えーー、とにかく、全ての言葉を教えられずとも、人はこのように言葉を獲得し、他人とコミュニケーションをとっていくのだな…と日々、感心している。
また、そういえば、自分はどうしてこの言葉とこの言葉を使い分けるのだろうか、というような自己内省が生まれることもあり、なおさらおもしろい。
2.演じること
次に、最近特に私の子育てを熱いものにしているのが、「演じること」のおもしろさである。
3歳、ほんとまじ、自我の塊、で、ありまして、何かに熱中していたり、やりたいことが目の前にあったりすると、
「手ぇ洗おう〜」
「お風呂入ろう〜」
「ご飯食べよう〜」
などの誘いを
「やだ!!!!」
の一言で一蹴してくる聞かん坊である。
あまりにひどいとこっちもギャースカ言って、一悶着…ということももちろん多々あるが、それが最近、「演じること」によって、少し緩和されてきたような気がする、という話。
例えば、外出から家に戻り、まず手を洗わせたいにもかかわらず、おもちゃ置き場に直行する娘。
「手ぇ洗おう〜」の呼びかけに、振り向きもせず「やだ!」の一言。
もう少し前ならば、「お〜こ〜る〜で〜」と可能な限りドスの効いた声でプレッシャーをかけるという、自分でも納得のいかない方法に頼っていたのだが、最近「ごっこ遊び」の楽しさに娘が目覚めたことで、「演じる世界に引き込む」というやり方が有効になってきた。
「た、大変!母ちゃんの手手にバイ菌がっ!!ゆっちゃんの手手にもバイ菌がいるかも………!!」
とこの世の終わりのようなテンションで訴えてみる。
振り向く娘。
サランラップの芯を望遠鏡のように片目に当てて
「ちょっと、見てみるからね…お手手見せて……」
と神妙に話して聞かせる。
ゴクリと唾を飲む。
沈黙が場を満たし緊張感が増す。
娘が開いて見せている手をラップの芯の穴からくまなく見つめる。
3秒ほど、間を空けて…
「ゆっちゃん………お手手にバイ菌がいっぱいです…!!!は、早く手を洗わないと…!!」
むちゃくちゃ焦る娘。
猛ダッシュで流しに行き、踏み台をセットし、うおおおおと声が聞こえてきそうな気迫で手を洗う娘。
後ろで笑いに耐える私。
そして手洗いが終わると、
もう一度娘が手を開いて見せてくるので、
サランラップの芯で再度くまなくチェックする。
「わぁーお!!ゆっちゃん、お手手がピッカピカになりました〜!!!」
ここの締めでテンションを下げずに演じ切ることが大切。
「キラキラーン!」とか「ピカピカーン!」とか恥ずかしがらずに可能な限りの高音で、手の美しさを表現することが大切。
私は何を一生懸命文章に起こしているのだろう、という気がしないでもないが、滑稽でもなんでも、娘がこの1コーナーのお陰で進んで手を洗うようになったのは事実だ。
そして、私は、こういうの…
嫌いじゃない。
これでわざわざエネルギー使って怒らずに事がスムーズに進めば、儲け物ですな。
(ある意味すごいエネルギーは使っているのだが)
3.立ち止まること
娘が自分の足で歩いて遊べるようになったことで、散歩や公園での遊びの時間が圧倒的に増えた。
公園で1日を過ごすなんて、何年ぶり?十何年ぶり?というような感じで、逆に新鮮味があったりする。
また、子供の頃は、公園というと遊具しか見ていなかったような気がするが、この歳になって見る公園は四季折々の自然に溢れていたり、安全のための工夫が見えたり、違う視点でのおもしろさが感じられる空間である。
私は世の中の文化に興味がありすぎて、何か、自分も自分の感覚で、それらの文化に足を踏み入れて表現してみたい、という思いが割と強い。
しかし娘が生まれてから、音楽や文学に没頭するのは、とても難しくなってしまった。
一時期は本当にそれがストレスで、娘の昼寝が短いとイラついてしまう自分に自己嫌悪を催したりしていた。
という時に、これならば、と俳句を作り始め、それが娘の活動意欲と、ピッタリはまった、というのが最近の成果。
娘は、散歩でも公園遊びでも、すぐに立ち止まる。
ピタッと立ち止まり「見て!」と言いながら何かを指差す娘の視線の先を見ると、
蟻塚に列をなして入っていく蟻たち。
一輪だけ開花している小さな野花。
絨毯のように厚く溜まった落葉。
これが何か娘の心の琴線に触れて、私と共有したいと思うものなのだなぁ、と興味深く一緒に眺めている。
その状況そのものを俳句に詠み込むことができると、私の表現意欲と、娘の活動意欲が同時に満たされたようなお得感を得ることができ、帰りの車の中の空気が、明るく優しくなっていくような気がする。
娘が生まれていなければ、まだまだ私は立ち止まることなく、画面の中の刺激的なものばかりを追いかけていたのかもしれないな、と有り難く思う面がある。
4.おわりに
とはいえ、まだまだ、まだまだ、まっっだまだ、子育ては未知の領域にあるもので、日々試行錯誤の繰り返しである。
特にトイレトレーニングですね。
ほんともう、心折れてます。はっきり言って。
もーいいじゃん。20歳までオムツ履いてるわけじゃないだろうしさ。もう、いいんじゃない?という無気力な悪魔が私の頭の中でずっと寛いでいる。
だめだよ、そんなんじゃ保育園の先生にも迷惑がかかっちゃうんじゃないの?
オムツとれないと温泉とかプールとか、まだまだ行けないんだよ?
と語りかけてくれる天使は、どこかに旅行に行ってしまった。
今頃温泉入ってるわ、きっと。
でもなんだかねぇ、育児本みたいなものとか、インターネットの情報とか、子育て専門のテレビ番組とかに、頼る気がしないんだなぁ…。
結局、十人十色やし…。
なんか逆に焦りそうやわ。
ひねくれ者め。と、悪魔が言うておりますわ。なんやねんお前。どっちの味方やねん。
でも、ご友人のご意見は、心から信頼に値するものでありますので、何かお声をかけていただければ、謹んで拝聴させていただきますので、何卒宜しくお願い致します。(訳:助けてください)
娘というのは、私にとって、これほど日々身近に接する人間でありながら、最も自分との興味感心の交点を探ることが、難しい相手である。相手にもっと無頓着に生きていれば、わからんやっちゃなぁ、で済んでしまうような。
でもそうはいかない、というところが、むしろ面白くなってきた、ということであろうか。
自分と娘の数少ない興味関心の交点に立った時、二人の関心事をマッチさせて、良い空間が作れた時は、なんとも言い難い幸福感がある。
やっぱり干渉せずに分かち合って、お互い歩み寄って一緒に生きていくことって、ええなぁと、大袈裟な感じもするが、思うんよねぇ。
これからも、なんとかここが、お互いの快適な空間として続いていくように、頑張ったり、頑張らなかったりして、やっていこうよね、我が娘よ。
読んでいただいた方、いたとしたらば、ありがとうございます。
かほ
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