先日はなんやかんやなんやかんやかんや、という感じで、揺れ動いたが、総じて、幸せな一日だった。
友達と普通にべんらべんらと政治の話をする日がくるとは、あんまり思っていなかった。
「中立」ってなんだろうね。
どんな時でも、端から端までの意見を無感情に聞いて、その真ん中に立つことなのかねぇ。
だとしたらば、私は中立的立場には一生なれなかろう。
あまりに感情的になると、本質からずれていてもそれに気づかず(もしくは気づいていても)視野が狭くなる。正しい批判ができない。だからよくないね。
だとしても、私は感情を加味しながら判断をしていきたい。感情を切り離すべき、というのは、個別的なケースに向けた感傷を切り離すべきなのであって、マクロな視点における理想に伴う感情は、常に大切に意識していたいものだ。
今回話題になったことも(いや、したことか)、そういう点がまだまだ未熟な集団、という感じだったね。
恐れるものを述べるに留まって、法案に関しての正しい批判がなかなかできなかった。
私ももちろんその一人で。
しかし、私は幸せだと思ったよ。
少なくともこれまでよりは。
これまでより多くの身近な人たちが、自分の口で「おかしくないか?」(もしくは「別によくないか?」)と言いたいなと思った時に「言う」という選択をしたこと。
ネット上でもね。
本当に嬉しいなと思ったよ。
私には理想の社会像があって、
その社会では人々は無駄な干渉をし合わず、緩やかな繋がりをもって暮らしている。
人の発言を理性的に受け止め、考えの違いを尊重することができる人が多い。
社会的に困っている人がいたら、そこに税金を投じて救済をすることは当然だ、と思う人がたくさんいる。
でも基本的に、人々は自由に経済活動を選択して行うことができ、大きな富を求める人も、そうでない人も自分の望む生活スタイルで、必要最低限の幸福を成就させることができる。
子どもは皆一様に国の宝として、手厚い教育や福祉でもって、大切にされている。
海外の国々とは、完璧とはいかないまでも、ある程度友好な関係を築いている。
歴史的な過ちと誠実に向き合い、今一度、友好関係を築こうとしている。
武力を行使しないことを堅く誓い、他国と建設的な話し合いを進めながら武力の縮小に努めている。
科学や芸術は、幸福な生活に不可欠なものであることを社会として自覚している。
資本主義の競争に安易にのらず、国民の余裕を伴う社会生活の維持を、重要視している。
言い出したらキリはないが、そういう社会が常に理想として、私の頭の中にはある。
だから、そこが私の中立であって、それよりも右に偏っていると思えば左に向かおうと主張するし、左に偏っていると思えば右に向かおうと主張する。
もちろん今後、他人の意見に触れて、この理想が緩やかに変化していく可能性は大いにある。
現政権の方向性はあまりにこのような理想とは、かけ離れていて、私は今のところ、批判を続けるより、しょうがない。少しでも、何かが望む方向に変化するように。
だから、理想の見えない場当たり的な批判というか、誰かを言いくるめるための批判みたいなものは、なんなん?あなたはどこ目指してるん?と、ちょっと言いたくなる。別にええけど。
ただ、検察庁法改正案に関しては、やっぱり論点がずれていて、恐れを増大させすぎている人が多いと思う。私もそうだったから、修正していこうと思う。
と、言うことは踏まえた上で、
もう感覚でもいいんだよ、感覚的に「やばい」と思った人があれだけいたことは、論理的ではないにしても、嬉しかったんだよねぇ。
現政権のどこがどう間違っていると思うか、というのは、もう、話すことが難しくなってきた。
強いて言うなら、今回のようなことがにわかに話題に上がった時、普段は政治的な発言をしないような人ですら、勇気を出して言わざるを得ないと思わせるほど、不誠実な態度でもって政治を進めてきたこと。
「まさかそんなことないでしょ」
と、多くの人は思わず
「やりかねない」
と思ってしまう政治手法をとってきたこと。
布マスク2枚は中国のバイヤーを動かして価格を下げさせたという「成果」があるのですか。
そうですか。
え、それが目的だったんですか?
布マスクで感染を防ごうとしたわけではないと?まぁ、届いてないしな実際。
じゃあどうして、国民の声を聞き、配布は見送り、布マスクの有用性を述べるに留めなかったのですか。
じゃあどうして、マスクを委託した企業名を伏せていたのですか。
公文書を改竄したことは、自分の知るところではなく、近畿財務局の忖度であったと言うのですか。
じゃあどうして、そのような重大事件を引き起こした責任者が、その後しれっと昇進しているのですか。
どうして、自民党の憲法改正草案において、
「基本的人権」に関する文言を削除したのですか。
じゃあ、どうして?
じゃあ、どうして?
と問いかけては、その問いかけに納得のいく説明も得られず(不勉強ももちろんあるだろうが)、なにが変わることもなく(まだ改憲については進んでいないけど)議論の時間は短くなる一方で、スピーディに、淡々と通っていく法案の数々。
私はこの体質に変容が見られない限りは、どのようなことにも、この政権の進めようとすることには最大限の警戒心をもって、理性的に物事を見ていくことを目指す。
最大限の警戒心をもって見た時に、あの検察庁法改正案は、とても丁寧な説明が求められるものだ、と思う。
内閣の権限によって、恣意的に定年延長が図られると思われても仕方がないような条文をなぜわざわざ、書き足す必要があったのか。
なぜ、長年の法解釈を変更してまで(解釈変更の適切な手続きも踏まず)、黒川検事長の定年を半年間延長したのか。
そこに、相関関係が本当に無いと言うのなら、これだけの国民の論理的ではないにしても不安を訴える声に応える責務を感じているのなら、この法案の改定に際して、決して黒川検事長を検事総長に任命することは、年次的にもあり得ないと、まず断言する必要があると思う。
別に黒川さんに限らず、恣意的な延長等がないかは、見ていかないといけないけども。
附則の「ただしニ及び四は公布の日から施行するものとする」も、まぁ賢い方の解説を聞いてなるほどな、とは思うものの、気になるな、
https://www.cas.go.jp/jp/houan/200313/siryou2.pdf
ここの条文が、施行日じゃなくて、わざわざ公布日から有効とされると書いているのがなぁ、「準備」、「検討」についてなんで、普通に読めば「検討」を早めに始めるということで、考えすぎな気もするが…なんか実行力持つようなこと、やらんよな、いや、やりかねない。(何回言うねん)
むぅぅぅ
難しいんじゃ!!!文が!!!
悲しい!!!わからなくて悲しい!!!
頑張るわ今後とも!!!ええいくそ。
そもそも私はようわからん延長があったんなら、ようわからん再延長があったって、おかしくないがな、と思うのやが。
やが。
いや、ここまで注目されたらさすがにないかな。
それなら、それで、いいんですが。
コロナウイルス問題に見舞われるなかで、多くの人が、政治が自分の人生に直結することを認識して、論理的ではないにしても、声を挙げる必要性を感じたことは、私はどうしても、嬉しい。
後は、その訴えを、より公共の目線に変えていければいい。
物事の本質について議論をしようとする姿勢を高め合えればいい。
少なくとも、私の周りの声を挙げた人たちは、芸能人の扇動に乗せられたわけではない。(と私は思う)
芸能人の政治的発言は影響力を持つので、一極に偏ると怖い面もあると思わないこともないが、逆の立場の声が大きい芸能人だっていっぱいいるのだから、別にええやんけ、とも思う。あと、若新さん言うように、「自分なりに学んでから、発言する」を自分も心がけたい、がけてほしい。
私の話を聞いてくれて、参加してみようと、自分の考えを述べてみようとしてくれた人もいる。
それはだれにも責められることではない。
把握が甘く事実と異なることを基に発言をしていれば、それを正されるリスクはあるだろう。
だとしても、あれだけの人がそれぞれの危機意識で発言をしたということ、それ自体が、私は嬉しい。
私の理想の社会に向かう波のように感じる。
ただ、こういうことが、もっとさりげなく、当たり前になっていけばいい。
自分も誰かの意見にいちいち一喜一憂することなく、当たり前のこととして、考えの違いを包含したまま、他者を愛せるようになればいい。
教育によって、当たり前にクリティカルシンキングを覚えて、攻撃と自己の内省を含めた論理的批判の違いが社会に浸透していけばいい。
政治は日常で、これほどまでに、勇気を持って鬼気迫るように考えることなど、しなくて済むようになればいい。
そういう意味で、姪が誕生し、
本当に喜ばしい出来事が訪れているこの時に、こんなことを熱心に考えざるを得ない状況に陥っている私は、不幸だ、と本気で思っている。
それでも、前向きに理想を目指していきたいな、と思えていることは、ここがある程度幸せな環境である証拠だとも思う。
話を聞いてくれる人の、おかげさまやわ。
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