頭がキリキリするほど考えたコロナのこと~現時点では、私は、こう動きます~


宮崎駿が「風立ちぬ」を制作した時、

それまで、子どもに向けたファンタジーを描くことにこだわってきた彼が、

「簡単にはファンタジーが作れない時代になってしまった」

というようなことを言っていた。

最近の世界を過ごしていると、そんなことをふと思い出す。

否応なく、考えさせられる、という点で今問題に挙げられているコロナウイルスって奴は、

人間にとって、本当に罪深い存在である。


これまで、色々と考えてきたつもりだったけど、

これほど、自分の考えが定まらないということは無かったように思う。

自分がTwitterで呟いたことを見返して、

めちゃくちゃ矛盾した言うてるな…と

一人で恥ずかしい思いを何度もした。

どこから考えれば正解なのか、何を優先するべきなのか、

それぞれが日々、試行錯誤の繰り返しだろう。

人の意見や、それぞれの立場での思いを聞く度に納得したり、

自分を反省したり、ぐるぐると今も考えあぐねている。

政治家でもあるまいし、そこまで考えて、例えば自分の中で結論を出したとして、

なんの意味があるのかは、分からないが、

これが今現在での最善だと自分自身が思えなければ、

何をするにも、申し訳ないような思いがして、いっちもさっちもいかんので、

とりあえず、現時点での自分の考えをまとめてみようと思う。

同意を得たいわけではないが、誰かが読んでくれていたら、嬉しく思う。



コロナのゴールはどこにあるのか

感染を予防するために、「不要不急の外出を控えるように」という言葉が聞かれるようになって久しい昨今、様々なことを自粛することが最早当たり前になってきている。

私の姉なんかは、先日、美容院に行こうとする母を「髪切らんくても死なんやろ。」と

止めたと言う。

その話を聞いた時に、私は、母について行き、いつも髪を切ってもらっていた、

母の行きつけの美容師さんの顔を思い出した。

そのような業界にも、少なからず、コロナウイルスによる自粛の波が届いているのだ。

私は、姉と自分の考え方に大きな違和を感じた。

姉とだけではなく、「最低限とは言い難い外出をしている者」への世間の厳しい目線には、

共感を覚えつつも、諸手を挙げて同意することはできない。


私は、そのような方々とは、どうやら「目指しているゴール地点」が違うように思う。

私は、コロナウイルスによる騒動において、社会として目指すべき終着点は

「なるべく、コロナウイルスの影響によって死ぬ人間を少なくすること」

だと思っている。

コロナウイルスの影響によって死ぬ、というのは、最早ウイルスに感染したことによる病死だけとは言えない。人々の自粛によって経済的困窮を強いられ、自殺を図ったり、

餓死をしたりする人がいれば、それは間違いなくコロナ関連の死だと言えるだろう。

死なないまでも、失業者が溢れれば、長期間、死んだも同然だという思いで、一日一日を過ごさなければならない人が急増するだろう。(まあ、生きてるならええやん、と思う人もいるかもしれないが)


それとは違い、私の姉が母に言った「髪切らんくても死なんやろ。」という言葉は、

紛れもなく、母の命に重点を置いた言葉だ。

姉は、おそらく自分や、自分の身近な人間にコロナウイルスによる感染が起きないこと、

コロナウイルスによって「その」命が奪われないことを一番に考えている。

他人より、自分の身近な人の命を優先することは、ごく自然なことだ。


しかし、我々は、この問題において、本当に身近な人の命を優先することなど

できるのだろうか。

短期的に外出をしないことを徹底し、自分たちが感染を免れたとして、

経済的に密接に繋がった我々は、他人に多くの犠牲を強いた上で、自分たちは確実に幸せでいられると言えるだろうか。


私は、知らない誰かを犠牲にしてでも、自分や自分が大切に思う人の感染を防ぎたい、

という考えでは、共同体として、この危機をベストな形で乗り越えることはできないだろうと思う。(ベストじゃなくてもいいんよな、きっと、自分たちが無事なら。わかるけどね。)


だから私は、「とにかくこの地域に感染源を運んでくれるな」という意味での、

安易なロックダウンや、安易な緊急事態宣言を求める声には、反対の立場だ。


もちろんかかりたくはないよ、自分だって。死なないにしてもなんか、すっごいもん。

熱12日間続くとかさ。キツすぎるやろ。なんなん。コロナ。なんなん?まじで。

マスクしたり消毒したり換気したり、できることするしかないわな…。



「抑え込む」のではなく「緩やかに拡げていく」

基本的な、自分のスタンスを示した上で、

パンデミック寸前(もう起きてるか?)の東京都について、ちと物申したい。

小池都知事ね。3連休の不要不急の外出を控えて~とか、何回か言うてるけどさ、

「目的」が曖昧やねん。今こういう状況で、あと何日間、市民が外出を控えれば、

こういう風に感染率が推移していく予想やから、何日までは全員外出控えてくれ、

店も休業してくれ、こんな補償するから、とかさぁ、自分もめっちゃふわふわした言葉使ってるけど、そこは専門家によく聞いて、そういう風に言ってくれんとさぁ、

なんかとりあえず、外出控えたらええ感じになるっぽい。

ていうか、外出したら、なんか広まってやばいっぽい。

みたいな感じでしか伝わってないし、月曜から出勤やから、意味あるんかどうかもわからんし、でみんな困惑するやん。


だから未だにウイルスを「抑え込む」必要がある、と考えてる人がいっぱいいるんちゃうかな。

だから、自主休業しないお店に、外出をする人間に、旅行者に腹が立って、

ことさら攻撃的になってしまうのではないだろうか。


何人かの専門家の意見が書いている記事を読んだ上で思うのは、

この期に及んで、急速にウイルスを抑え込むのは無理なんやな、ということ。


経済活動一切合切止めるなら、できるのかもしれないけどね。

7割程度の人々が通勤しながら、感染を拡げないことは、不可能に近いんだろう。


とすると、私たちの自粛の「目的」となるのは「抑え込み」ではなく、

「なるべく緩やかな感染拡大」ではないのだろうか。

もちろん、収束期を予想しながら。

長期的な戦いになってでも「なるべくコロナウイルスの影響によって死ぬ人間を少なくする」には、重症患者が、適切な医療を受けられるように最善を尽くすべきだと思う。


爆発的感染をしたイタリアやスペインでは、明らかにコロナウイルスによる致死率が高い。

同じような現象を首都東京で起こすわけにはいかないので、

やはり一定程度の外出を控えることは、各自が意識しなければならないだろう。

私たちは限りあるベッドを、できるだけ、順番に使っていかなければならない。

だから、さっき、安易なロックダウンには反対と言ったけど、

安易じゃないなら、爆発的感染を防ぐための計算ずくのロックダウンなら、賛成する。

その代わり、科学的な知見から見た感染の推移予測を示しながら、何日間行うのか、

その間の休業補償はどうするのか、等、分かりやすく十分な説明をした上で行ってほしい。


また、自粛やロックダウンにより、アーティスト等の芸術分野で暮らしている人々や、

飲食店で働く人々が、犠牲にならないように、社会全体として、

支援をしていかなければならない。


これはもう、意識的に、各々が、やるべき。


具体的に言えば、好きなアーティストのグッズを買うだとか、

家の近所の好きな飲食店をテイクアウトで、店員さんと接触しないように利用するだとか、

うあー浮かばない、絶対もっと色々あるけどぉ、

いちいち「好きな」と入れたけど、

大切なのは、「これまで自分がしていたことを、極力ウイルス感染しない形に変化させて、変わらずに行うこと」だと思う。

それでも、感染は拡がるだろう。でも、緩やかに、ベッドを奪い合わなくても済むようには、なるかもしれない。

目的意識。



感染は罪じゃない

最後に、何気にかなり予防効果が高いと思われるのが、

「感染」することを「罪」のように扱うことを止めることだ。

芸能人が感染すると、必ずコメントに「申し訳ありません。」の一言が入るが、

申し訳なくはない。全く申し訳なくはない。

とか言いながらね、インフルエンザになってしまった時、

職場の各所に申し訳ありません言い倒した私が言うのもおかしな話だけどね、

感染は罪じゃない。

感染させることも罪じゃない。

「俺コロナだけど。」みたいな人は、ちょっと置いといて、

森三中の黒沢さんみたいに、できることをやっていても、感染する人はたくさんおる。

当たり前やん。

今、万が一コロナウイルスらしき症状が出ていても、なかなか言い出せないという人が

たくさんいるだろうと思う。

陽性になった人の経緯でも、発症後、体調不良を押して、出勤してしまっている例が多々あった。


経済規模を縮小しながらも、それぞれがなるべく幸福に、政治の力を利用しながら、

生活を続け、緩やかに感染を拡げ、収束に向かうこと。


それを目指す上で、発症者の素早い自己申告は不可欠だろう。

休まねばならないのだから。軽症患者を増やさなけらばならないのだから。


もう少し、各々が、自分事として、共同体感覚を持てるといいなぁ、と思う。

私も、そういう空気が少しでも周りに広がるよう、発言していく。


とか、言って、決断したような感じの文章を書いておいて、

友達の近くでコロナの陽性患者が出たと聞くと、やはり心配。

何か、困っていることがあれば、相談をしてみてね。

まだ少しは余裕があるので、できることをするので。


早く会いたいね。

ここまで読んでくれてありがとうございます。










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