長めの呟き。
又吉直樹「人間」まだ途中やが、又吉さんの我の強さに衝撃を受けている。誰もが「これ又吉さんやん」と思う人物を登場させ、その人物にものすごい口汚く自己主張させるっていう…やっぱすごいもん抱えてるな、この人…。
なぜか、リーガルハイで古美門さんが、冷酷だが医学の進歩に繋がる研究に全霊を傾ける医者の弁護をしている時に言った
「せめて狂気の世界で戦い続ける者達の邪魔をするな。」
っていうセリフを思い出した。
表現者にとって、表現と関係のない部分を勝手な価値観で語られること(人柄とか肩書きとか)って、そうとうなストレスというか、表現の創出を阻害するものに成り得るんかも、と思った。
また、そういう、表現によって名を成した人にぶら下がることで、自分の地位を成そうとしてくるような輩には、虫酸が走るんかもなぁ。
その憎悪とも言えるような感情を物語の中の人物に語らせて、それを「狂気じみている」と一歩外側から冷静に見ることもできるからこそ、又吉さんは小説家になれたのかな、と思ったりした。
ついでに、又吉直樹とリーガルハイをこよなく愛する私の親友、吉田との思い出も、一つ思い出した。
吉田はある日
「リーガルハイ9話の古美門さんの長台詞全文暗記したから、やらせて。」
と言い出し、そのシーンの書き起こしを私に渡し、古美門さん以外の全てのセリフを私に言うように指示した。
結果から言うと、吉田は本当に、完璧に長台詞を記憶していた。
私は感動を覚えつつ、
精一杯、老人Aや、老人B、そして老人Cのセリフを熱演した。
「そうだ、しょうじの怒りは最もだ!」
「そうよ!どうしてそんなにひどいことが言えるの!あんたは悪魔よ!」
などと、一人で相手の気持ちに共感を示し、一人で古美門を一生懸命こき下ろしながら、私はひっそりと、
何してんねん、これ。
と思っていた。
このシーンは、本当にテレビドラマ史に名を残す素晴らしいものだと思う。
人間の誇りある生き方とは、
正しい戦いとは、
法が守るべきものとは、
現代に生きる人々に古美門研介は訴えかける。
「もし、あなた方が誇りある生き方を取り戻したいのならば、見たくない現実を見なければならない、深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。戦うということはそういうことだ。愚痴なら墓場で言えばいい!」
なんと、多くの人の目を開かせる至言であることか。
おい。吉田。わかるか。
この大好きな台詞が、私の脳内では、堺雅人さんの声じゃなくて君の声で再生されるんや。
おい、なんか、嫌やろ。
やめろや。
かほ
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