私はTwitterが好きです。
飾らずに、まとめずに、日頃思っていることをブツブツ呟くように発信できて、それを読んで共感してくれる人が一人でもいると、とても嬉しくなります。
でも大体、一人でブツブツ言うために利用しているので、Twitterを通して知らない人と繋がろう!とかは特に思わない。(作品を介して好きなアーティストさんを見つけられるのはとても有難いことですが)
そんな私が自分からフォローをして、コメントを送ってぐいぐい仲良くなろうとしている「みのくまさん」という方がいる。
そのみのくまさんが、この度「ツイッターを(ほどほど)にやめる」とブログに投稿されていて、思うところが溜まっているので私もブログを書こうと思った次第です。
この「人のブログに反応してアンサーブログを勝手に書く」っていうの、なんかこの夏のトレンドになっとるな。自分の中で。
みのくまさんを見つけたきっかけは「長谷川豊」。
数年前に、長谷川豊という元アナウンサーが「人工透析の自堕落な糖尿病患者に保険料出すな~自腹で医療費払えないやつは殺せ~」みたいな、まぁ、今思えば程度の低ーいブログを書いてぼうぼうと炎上しておりました。
私も実際にそのブログや他の発言を見て、まぁひどいなと、なんじゃこいつはと、大体の方が思うように私も思いました。
でもなんだか、その発言がとにかく許せないというところから、この人間はどうしてこうなったんだ、という境地に至り、彼の文章を読み、さまざまなところに思いを馳せるようになっていきました。
なぜか私は、必死だった。長谷川豊を知ることに必死になっていた、変な2週間(長っ)があったことをはっきり覚えている。
なぜだか、私は無性に彼が許せなくて、反省の言葉も素直に述べられない彼が可哀想な気さえして、職を失っても、自分の周りは一生懸命僕を庇ってくれたんだと訴えるプライドの高さに嫌気がさしていた。
嫌気がさしているのに、どうしても彼について調べることをやめられず、そんじょそこらの長谷川豊ファンよりも彼に詳しい自負がある。(恥ずかしい)
自分が何にそこまで固執するのかもわからず、心のもやもやを晴らしたくてTwitterで長谷川豊について意見をしている人を検索したりもした。
大抵が「人工透析」発言についての批判、それに伴い彼の人格についての非難、という感じだった。
そりゃあそうだ、と思いながらも「サイコパス」「人格破綻者」「人間の皮をかぶった何か」というような表現を見るたびに、そうじゃない、そうじゃない、と逆にモヤモヤを募らせていた。
そんなときに、みのくまさんの発言が目についた。(やっと登場)
みのくまさんは
「長谷川豊のような自己責任論者は、本当に誰よりも、血のにじむような努力をしてきたのだと思う。でも自分はだめなやつだから、自己責任で廻るような社会は嫌だな。」
というようなことを言っていた。(細かい言葉が全然違うと思う。ごめんなさい。)
私はその時、すとーんと「腑に落ちる音」をこの耳で聞いた。
その通りだ、と思った。長谷川豊のことは人間として大嫌いだけど、「本当にここまで頑張ってきた人」ということが発言の端々に滲み出ていた。それをわかってくれ、わかってくれ、と彼が訴えているように感じられた。
でも。
でも、私は彼の考えはおかしいと思う。
「私は」彼の言うような世の中は嫌だ。
とはっきりと思えた。
長々話したわりに、全然うまく言えないんだけど、これほどまでに理解できない人間がいる、というストレスが「誰よりも頑張ってきた人」という理解によって、解放されたのだと思う。
でも。
私はやっぱり間違っていると思う。
と相手の心境を理解できたことで、より鮮明に自分の立っている場所がわかったような気がする。
その時から、みのくまさんは、私の思考の限界、偏り、視野の狭さに、すぐ近くで「わかるよ。でも、こういう見方もあるじゃない。」と語りかけるような広い知見で意見を述べてくれた。
そんなみのくまさんが言葉のやりとりの中で
「かほさんとは戦友感がある」と言ってくれたことがある。
私たちは、何と戦うのだろう、と思いつつ対等に言い合える仲であることが再確認できたようで嬉しかった。
そんなみのくまさんが「ツイッターをやめる」というブログを書いており、咄嗟にショックを受けたが、その言葉を読むと、そこにはとても納得のいくことが書かれていた。
一番心に残った言葉を要約させていただくと
「長文的な思考法を得て、理性的に、誤解を招かない文章を書く。そのためには、承認欲求からも離れざるをえない。」
ということが書かれていた。
私は、見事だなぁ、と思った。
端的で、目につきやすく、誰にも分かりやすい140字の枠の中で、誤解のリスクを負いながら話すことより、誰に読んでもらえるかもわからないが、丁寧に、誤解のないように、長文で書く。
承認欲求を捨てて。
何よりも、自分のために。
私は、私たちが何と戦っているのか、この文章を読んで少し解りかけたような気がした。
自分も、認められたいと願う承認欲求や、自分は間違っていないと思う自己中心的な面、そういう精神的な弱さを日々感じている。
でもそのことに気づいた時に、それを無視することだって、多分できる。
でも、無視しない。向き合っていく。直していく。高めていく。何よりも自分のために。
私たちに敵はいないが、私たちには弱さがある。
これからも、折に触れ、声を掛け合い、共闘していければ嬉しい。心強いです。
よろしくお願いします。
かほ
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