しかし、どうしてこんなに怒るのが下手なのかなぁ。言いたいこと自体は、そこまでおかしくないやん、ていうところもあったのに。激昂してしまうせいで、結局本意は伝わらず、挙句に怒りをぶちまけている映像を晒されて、良いこと一個も起こってへんやん。これ、めちゃくちゃ目の前で怒ってる人に伝えたいけど、伝えられたことない。そらそうか。めちゃくちゃ怒ってる人がめちゃくちゃ怒っている相手から「そんな怒り方しても、あなたの目的は相手に正しく伝わっていないので、相手の行動には変化が見込めませんし、今後も反感を買い続けて人間関係はどんどん悪くなるし、良いこと一個もないですよ?ね?」と言われた場合、この言葉は油そのものとなり、油をたっぷり加えられた怒りの火柱が辺り一帯を燃やし尽くすことだろう。あちー!
でも、こういうところも怒鳴る人ってずりぃんだよなぁ。怒鳴ってる間は、おんなじぐらいのエネルギーで怒鳴り返す以外コミュニケーションとる方法ないやん。どんだけ反論があったって、怒鳴りのターンが終了するまでは理不尽さに心をすり減らされながら「怒鳴る人に怒鳴られている人」になるしかないやん。疲れるやん。やめてほしい。
怒るのが上手な人は、まず怒りの原因を相手にきちんと伝えてくれるよね。だからこそ、確かに自分が悪かったな、とか、考えが至らなかったな、とか反省の思いが出てくるわけやん。あと、絶対短い時間だけ怒るよね。怒るの下手な人の共通点は「怒る時間が長すぎること」と言ってもいいかもしれない。教員を見てても、うまく指導する人ほど短く簡潔なんだよな~。もう長く怒られすぎてて、(どうして、私は、今ここに…?)てプチ記憶喪失みたいな顔になってる子よく見るもんな。長すぎる怒りは目的をぼやかし、全てをまやかしの出来事に変えてしまうんや、わかったか、どこぞの市長さん!
あとこれは、上手い下手関係ないけど、怒りの原因が「自分が嫌な思いしたから」っていうのは、ものによってはダサい。「お前が引っ掛かったからコード抜けて保存できてないままパソコンの電源落ちたやんけぇぇぇ!!!!」みたいなね、ちょっとダサいね。いやでも怒るかこれは。いや怒らんかもしれへんけど泣くな。いややっぱり怒りながら泣く。うん、一番ダサい。やっぱり全体の利益のために、被害を被った第三者のために、心を鬼にして怒るってのがね、かっこいいよね、うんうん。
というわけで一番「上手な怒り方」とはどういうものかというと、
①怒りの原因や、求める変化を明確に伝えてくれる。
②端的で、怒る時間は短い。
③全体の利益を考えた上で仕方なく心を鬼にして怒っている。
④無駄に怒鳴らない。
こんな感じ。こんな感じが怒り界の最高ランクに位置する怒り方であって、こんな感じの怒り方をする人は、ベスト怒りスト賞2023に最も近い存在であると言えよう。
ところで、私が人生で怒られた経験の中で最も記憶に残っているのは、小学校の時の強面担任でも、社会人一年目の最低上司でもなく、大学院時代に通った自動車教習所の若い男性教官である。
怒られた原因:座学受講中の居眠り 求められた変化:寝んな
てなわけなので、上記のベストな怒り方の特徴に当てはめると、この教官の怒り方は、①には完璧に該当している。うん。いいですね。
というか、寝んな以上でも寝んな以下でもないただそれだけの話なんだよ。と私の心の中の教官が言っている。私の心の中の教官…?さらにいうと、寝てはいけないのは、私が免許を取得しようとしているにもかかわらず、その知識を身につけずに過ごし、危ないドライバーになってはいけないからで、これは③の全体の利益を考えた上で怒っている、にも十分当てはまる事案だろう。④の無駄に怒鳴らない、も満たしていたと思う。
居眠りによって注意を受けた分際で、何を人の怒り方に第三者的な立場で評価を下しているのだお前は、という正論すぎる正論をぶつけるのは止めてください。この世は正論だけで回っているわけじゃないんだよ!
でも、私はこの時以上に「怒り方下手かよ!」と憤ったことはない。授業中にうとうとしてしまったことは事実なのだから、「気をつけましょうね。」「次から寝ないように」などと声をかけられていれば、私は肩を細められるだけ細めて恐縮し「すみません、本当にすみません、気を付けます。」とペコペコと頭を下げまくったことだろう。しかし、この教官の怒り方を体験した私は、非常に納得のいかないようすで薄~く頭を下げて静か~に教室を後にした覚えがある。いまだに納得がいかない。なので、居眠りこいた癖にその注意のされ方に難癖をつけて十年越しにブログで言い訳をするという、今世紀最大にダサい姿をこのように晒しているわけです。はい。
まずね、前提として私は座学で寝てしまうことなんか滅多になかったし、ノートを持ち込んで大切なことをメモに残すくらい、熱心に勉強に励んでいたんだ。なぜあんなにうとうとしてしまったかというと、くそつまんねぇんだこの人の授業!!こういうこと言うと「車の免許を取得するための授業なんだからおもしろくする必要なんかないだろう」って言うよね、私の心の中の教官は。私の心の中の教官…?でも私はね、そんなことないと思うよ。いかに必要な情報で、覚えるべき内容であったとしても、人は小難しい話を小難しくされると眠くなる生き物なんだよ。なんでか分かるか?小難しいからだよ。寝た方がいいなこりゃ、て思っちまうだろうが脳が。もう一人いらっしゃった女性教官の授業なんて毎回超おもしろかったけどなぁ。事故の起きやすい時間帯みたいな雑学とか、授業内容に関係する運転エピソードとかうまく盛り込んで聞かせてくれたりさぁ。クイズ形式にして、こっちに考える余地を与えてくれたりさぁ。そういうのが一切ない専門用語とその意味を羅列するだけの授業を私は授業とは呼びたくねぇ。ベン図で言うと「授業」の円と「拷問」の円のちょうど重なるところに存在するものなんだよ。
てなわけで、まず私は拷問(授業)に耐え、手の甲をつねったり耳を引っ張ったり、目を覚ます努力はある程度しながら受講をしていた。その努力を少しは加味してほしかった。
しかし教官は、授業の終わりに、5人ほどの居眠り受講者たちに声をかけると、自分のPCの周りに全員を集めて言った。
「あなた方は、授業中に寝てしまうくらい、もう免許取得の知識に余裕があるようですので、これから出す問題に全て正解をしてくださいね。では一問目、はい」
ターン!と無駄に大きくエンターキーを押す音が教室中に響いた。パワーポイントで作られた交通違反についての問題が小難しく、いやらしく、間違えろ!という強い圧をもった文章でもって眼前に映し出された。
我ら5人は、数十秒それを凝視した後、「…まる?」「…ばつ。」とぼそぼそと各々の寝起きの頭ではじき出した解答を述べた。エンターキーがターン!と無駄に大きく鳴り響く。「答えはまるです。間違えた人はもう黙っててください。では次、はい。」エンターキーターン!(以下ターン!とする)
二問目の小難しい問題が出題される。答える。ターン!正解発表。はい次。ターン!という感じでどんどんと問題を問答無用で出題してくる。これがこの教官の怒り方なのだ。ほら、おい、この馬鹿ども。馬鹿は馬鹿なりに努力をして、勉強しろよ。こんな常識問題ですら答えられないような馬鹿なんだからよぉお前らはよぉ。ということを言いたいわけだ。そのためにこんなパワーポイントを時間かけてまで作っとるわけだ。せ、性格が悪い…。(お前もな)
しかし、5人の中に一人未だ一度も不正解を出さない大学生らしい青年がいた。その青年は既に7問も連続で小難しい厭らしい問題に正答を返していた。ほんまに知識に余裕があるから寝とったパターンなん…?私は心の中で彼を応援した。いけ!多分10問ぐらいまでしか用意してないはずや!あと3問!がんばれ!我ら居眠り族期待の星!全部正解して、こいつをなんとも言えへん顔にしてしまえー!
しかし願いもむなしく青年も9問目にして不正解を出してしまった。惜しい。あと一問だったのに。
「はい、全員間違えましたね。分かりましたか。こんな状態の人たちが、この講座を受講したなんてとても言えませんよね。運転者としての責任感が感じられません。一生懸命受講している人を馬鹿にしているんですか?」
みたいなことを言ってた気がする。もうこの時点で私は、寝ちゃってごめんなさい…よりも、怒られて悲しいよぉ…よりも、なんやこいつ、怒り方下手か?で頭がいっぱいになってしまっています。そのことについてはすいませんでした。(今更)
だって全然、一生懸命な人を馬鹿になんかしてへんし。眠たかった100%やし。
そんなことを言いながらも教官の人差し指はエンターキーを押し続けていて、そのスライドの流れをぼんやりと見ていると、送っても送っても終わらないスライド。めくってもめくってもまた出てくる小難しい厭らしい問題たち。
(第30問!??)
やっとスライドの動きが止まった時、問題番号は「30」に達していた。居眠りを咎めるために30問分も嫌がらせを用意しとったとは…私はあまりに唖然として教官が言っていることをもうほとんど聞いていなかった。この30問を用意するに至るまでの、教官の苦悩に思いを馳せ始めてさえいた。きっと授業人気なくて、嫌な噂聞こえてきたりしたんやろうな。「〇〇先生の授業は楽しいのになぁ~」とか言いながら廊下を歩く女子大生に見つからんように時間差でドア開けたりしたこともあるんやろうなぁ。でも俺、おもしろいこととか言えんし、て落ち込んだ日もあったかもなぁ。そしてその日も、何人もが自分の授業で居眠りをしてて、悲しさが孤独をはらみ、そして受講生への怒りへと変わっていったんやろうなぁ。その夜、苛立ちに任せてこのパワポを作ったんやろうなぁ。気が付いた時には、外は明るくなり始めていて、問題番号は「30」に達していたんやろうなぁ。
私がハッと我に返った時、教官はまだ怒っていた。もうごめんて。居眠りがそんな心の傷になってるとか知らんかったから。ほんまにごめんて。
やっと解放された時には、もうすっかり昼食をとるような時刻になっていた。は~なるべくこの人の講座に当たらんようにしよ。と私は思った。ほらね、怒り方が長すぎると、軽めの記憶喪失になる上に、素直な反省に繋がらないんですよ。もっと、効果的な怒り方があるから、いろいろ試してみてね。
私は、十年ぶりに私の心の中の教官に語りかけた。私の心の中の教官…?
かほ
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