笑いを堪える遊びがしたい。
と友と言っている。
「笑ってはいけない」の世界観というか。
とはいえ、何かを見て聞いて笑いを堪えている状態って、なんか思い返すと基本的に失礼やなということが多くて、なかなか使えそうな状況が思い当たらない。
最近笑いを堪えるのに必死やったことといえば、もちろん年くま企画の「ごじゃります」の壁や。
あんな感じで、自らが何かをあえて言おうとすることで、笑いを堪える状態を作り出すのはありかもしれん。
なんて言おうとすればいい感じに笑いの琴線に触れて、それを堪える必要が出てくるだろう。
そういや、「走れメロス」を読み返す動画の中で、又吉さんが、メロスに「愚直すぎて後先考えてなさすぎるちょっとアホな奴」という読み解き方を付随させただけで、文章がめちゃくちゃおもしろく感じられることを教えてくれたなぁ。あぁいうのいいなぁ。
ちょっと余裕あるかも、と思ったら
「そんなに焦る必要もない。ゆっくり歩こう。」って鼻歌歌い出すところとかむちゃくちゃおもろい。いやお前親友はりつけにされてんちゃうんかい。その後案の定余裕なくなって膝ついて神に祈り出すところとかも、もうだから言うたやん…!ていう笑える要素にしか感じられへんかったなぁ。文学に解釈を付け加えることで、音読するだけでおもしろい状況が生まれるかもしれへんなぁ。
あとはー、なんやろうなー、ラジオパーソナリティの英語の発音が唐突にネイティブすぎるのは、やっぱりちょっと笑ってしまう。
「今、ちょうどフジロックが開催されているんですね。今年も素晴らしいグェスト(ゲスト)が多数出演されていますねぇ。私が特に注目しているのは、ゆらゆら帝国でもお馴染みの坂本慎太郎でしょうか。いやぁ、現地で聴いている方が羨ましいです。最高のスァマァーヴァケェイション(サマーバケーション)をお過ごしください。」
みたいな。むちゃくちゃ美声で、日本語も人一倍聞き取りやすいほどの滑舌やからこそ、切り替わりが唐突すぎてなんかわろてまう。お互いが書いたラジオ台本を笑わずにラジオパーソナリティ然として読み切れるか、とか、おもろいかもしれへん。
あと、こないだイッテQでやってた「通訳が徐々に自分の考えで勝手に話し出す」っていう状況がおもしろすぎて、なんかに使えへんかなぁーとずっとおもってる。
ランダムに全く分からない言語の音声を聞いて、テンションとか長さとかから勝手に推測して通訳する、とかもおもしろそう。もはや大喜利に近いが。
なんか、色々やってみたいなぁ。車座で座談会とかもしたいなぁー人狼もしたい!うおおおお実現させるぞぉー
真剣に遊び尽くすのだ!
かほ
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