綺麗な景色が見たいだけ(1)

早く帰りたい。クラスの半数程度の視線がそう言っていることに気がつけない俺ではない。

気がつかないようになりたいと思う時もあるが、気がついてしまうものはしょうがないし、そういう、空気感?みたいなものは、まぁ、分からないよりは分かった方がいいのかな、なんて思うこともある。ただ今はクラスの半数程度、というなかなかのプレッシャーになり得る人数にその白い視線を向けられているものだから、少し息苦しいだけだ。

「えー、まぁ3年なんで、劇をやるのが通例かなって感じですが、カフェとか、展示とかでも大丈夫だそうです。あー、でも飲食系は感染対策とか結構うるさく言われてたから、あんまり手ぇ出さん方がええかな、と、個人的には、思います。」

2か月後に控えた我が堰代高校の文化祭は、割と、かなり、いや、ほぼほぼ生徒の自主性に任されており、生徒会やクラス代表が取り仕切り各学級の出し物を決めることになっていた。

3年3組のクラス代表である俺、石田大和は、生徒会からの指示書に従いながら黒板の前で出し物についての注意事項を一つ二つと呼び掛けている。このご時世であるから、まぁ致し方ないのだが、感染対策に関わる注意事項が何項にも及んで記述されており、それを一つ一つ読み上げている内にクラスメイト達の目の光が徐々に失われていくのが分かった。

ただ、窓際、前から3列目の座席からはギラっと光る強い視線をずっと感じている。

古瀬悠夏。吹奏楽部に所属している…女子だ。それ以上の情報は今のところ何もない。なんかめっちゃはきはきしゃべるな、え、おいおい、今そんなズバッと本音言うたら周りの空気悪くなるんちゃうん、と傍を通った時に一度思ったことがあるくらいだ。なんの話題だったかはよく覚えていないが、女子の輪の横を過ぎる時に、古瀬は確か「でも犯した罪って二度と消えへんからなぁ!」とはきはきと言っていた。どういう状況やねん。今更気になってきたわ。

注意事項を一通り読み終えた後、「じゃあ、以上のことを踏まえて、なんか意見ある人いますか。」と俺は多分話したはずだ。言い終わるか終わらないかで指先までピンと伸ばして手を挙げた古瀬が「劇!!やりたいです!!!」とすごい圧で言ってきたもんだから、一瞬頭が真っ白になってしまった。

「え、あぁ…はい、劇ね。…他にはなんかあるかな?」

劇は、おそらくクラスの中で是非が極端に分かれる部類のものだろうと俺は察していた。なんせ俺自身があまりそういうものが得意な方ではなかったからだ。舞台の上で他人を演じる姿を他人にガンガン見られるなんて絶対嫌や。笑いたい、泣きたい、という観客の欲にまみれた視線を受け止めて、そんな自分勝手な恐ろしい欲を満たすような演技がたかだか高校生にできるわけもない。せいぜい友達がお情けで笑ってくれているか細い声や、周りに同調した乾いた拍手を送られてぬめっとした気持ちになるのがオチや。かといって、それが堂々とできてしまう部類の同級生に、裏方としてスポットを当て続けるのも嫌や。絶対お揃いのTシャツ着せられるやろうし。舞台の上の人間たちに光が当たるように、暗い場所で待機して、人間の動きを光で追いかけて、舞台の上に拍手を送る他人達の後頭部を眺めて、最後にお情けで舞台に上げられて、舞台の上の役者たちに、この影の功労者たちにも拍手をお願いしまーすみたいな手振りをされて。何がおもろいねん。

自然と劇以外の意見を吸い上げようと試みた俺は、意見を求めてクラス全体を眺めた。すると廊下側の最後列で肘を曲げ気だるげに挙げられた手にやっと気がついた。

「あ、ごめん気づかんかった。はい、成川。」

がたりと音を立てて成川は立ち上がった。別にそんな決まりはなく、校則も緩いこの高校にいながら成川は意見する時必ず席を立つ。クラスに微妙に緊張が走るのを感じる。俺も微妙に緊張する。成川拓実のもつ独特の空気というか、間?というものはいつも周囲をどことなく堅くさせるのだ。お互い気を遣い合いながら築いてきた柔らかい空気の撓みを見逃さず、斬り込んでくるような、突かないでほしいとどこかで願っているところを、しっかりきっちり突いてくるような、そういう厭らしさがある。

「どうせ、全員が文化祭に向けて熱心に準備するわけでもないやろ。そういう適当に済ましたい、楽に流したいと思ってる人の意見でクラスの出し物が決まるんは、俺はかなわん。やから前もって言うとくんやけど、俺は古瀬に賛成で、劇がやりたい。脚本も書きたいし、もしやらせてもらえるんなら監督みたいなこともやってみたい。別にそんなやる気ないって奴には負担ないように仕事振るし、やる気ある奴とはとことん話し合って、誰が見ても良いと思うものを作り上げたい。俺と同じように、高校最後の文化祭を最高のもんにしたいと思っての意見なら、もちろん話し合って決めたいと思うけど、なるべくスルーしたい、勝負せんとその他大勢に埋もれるように過ごしたいっちゅう、しょうもない考えから出てくる意見なんやったら、この貴重な場は譲ってほしいと思うんやけど。その上での意見を、お願いします。では引き続き、どうぞ。」

どうぞ、の時に成川は俺に手を差し出して、発言権を引き渡してきた。いや、ちょっとはマイク受け取る側の身にもなってくれよ。この後何言うんが正解やねん。それを俺に伝えてからしてくれよ、歯に衣着せぬ物言いってやつは。

えーとかあーとか言いながら冷えこんだ空気を少しでも温めてから、俺は「じゃあ、強めの意思で、劇以外のものがやりたいという人、おったら、どうぞ。…て、おらんかな。じゃあ、あれか、劇でいいと思う人は拍手してみましょうか。」と投げやりに提案した。ぱらりぱらりと疎らな音ではあったものの、全体的に拍手をおくる姿勢は見られた。古瀬の拍手だけがそれを蹴散らすようにバチバチとうるさかった。

「じゃあ、劇をやることに決定、てわけでぇ、えー、成川が脚本、監督ってことでええんかな?その進行具合によって配役とか、その他の仕事とかを徐々に割り振っていく感じ?」

「おん、それでええよー」

最後列から少し声を張って成川が答えた。自分の思惑通りに事が運んだ割にはなんとも詰まらなさそうな間延びした声。読めん。若干怖い。適度に距離を保ちたいが、嫌われたら嫌われたで…多分めっちゃへこむ。変なやつ。

「じゃあ、よろしくお願いしますーの拍手を、成川に、お願いします。」

みんなが銘々に拍手をおくる中、俺は古瀬の射抜くような視線が気になっていた。

元々丸いキロキロと動く目をこれでもかと見開いて俺に何かを訴えている。なんだ、なんなんだよ。俺は見て見ぬふりをすることを瞬時に決め、「じゃ、今日のところはこれで終わりにします。」と、あえてうつむき加減に言い切ると、教壇から下りようと片足を踏み出した。その瞬間、ガタっと椅子を引く音と「あの!」という古瀬の通りの良い声が同時に響き渡った。驚いたあまり片足をぐねるように着地してしまい、横に転倒しかけたところにたまたま最前列の机があったため、どっともたれかかることで大転倒はまぬがれた。

「え!?」と顔を上げると、古瀬が立ち上がりながら再び天井にでも触れようとしているのかというほど手を高々と上げて眉間に皺を寄せていた。「あの!私も、脚本を書いてみたいんです!!」

「え、あぁ…?そうなん、じゃあ、そこは、二人で話し合ってもらって…」痛む足首をゆっくりと回しながら答えると、古瀬は成川の方に顔を向けた。成川のふわりとパーマがかかった髪の毛が少し揺れている。髪の合間から見える目が敵と認識した相手を見据えているようだ。なんか、多分険悪なムードってやつなんかこれ、ひょっとして。

「大和、間に入ったったら…?」

最前列に座る親友の尚斗がこそりと声をかけてくる。ここまで静かぁにしといてからに、お前、このやろー。もうやけっぱちだ。「じゃあ!この後二人はちょっと残ってくれるかなぁ!他は帰ってええです!…だ、ぁー、解散!」

クラス代表ってなんなん?面倒ごとの仲裁屋なん?帰りゆくクラスメイト達にぽんぽんと肩を叩かれながら、叩かれた分だけ俺の体は重みを増していくようだった。

俺の事なかれ精神を極限まで発揮し、この場を最短で切り抜けることを俺は誓った。


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