比喩る日記【1】

大阪に戻り、会いたい人と、少しは会うことができた。実家は私にとって、味噌汁にとってのワカメのようなところだ。大切で一番に頭に浮かんで、でもないならないでなんとかなるというような。
大阪は街は、はっきり言って苦手だ。
安物のワインのように味気なく、シンバルを持った猿のおもちゃが巨大化したように五月蝿い。
海ではなく熱帯雨林だ、と感じるほどうず高く積まれた紀伊國屋の本たちに囲まれて、戸惑っている時に、私は吉田と再会を果たした。
会った瞬間、吉田の縮尺がおかしい、と思った。Wordを使いこなせていないお年寄りが、画像を拡大しようと、縦にだけ伸ばしてしまったかのように、縦横の縮尺が私の頭の中にある吉田像とは異なっていたのだ。
「背、伸びた?」私は聞いた。
「いや、背は伸びてへんよ。」吉田はSiriのような誠実な回答をした。後から考えると、縦横の縮尺が変わる方法はもう一つあって、多分そちらの可能性を先に思い浮かべるべきだった。しかし、私の頭の中は吉田に会えた嬉しさから、5月頃の薔薇園のようなものと化していたので、その可能性を見出すまでの思考には至らなかったのだった。

家丸ごと、このビルの屋上に運びたいと思った時に役立ちそうなほど巨大なエレベーターに乗り、二人でカフェに入った。
実際に顔を合わせるのは3年ぶりだというのに、あっという間に、いつもの二人の空気感がそこにつくり出されていた。お土産売り場でよく見る、チョコを内包した謎の丸い餅のように柔らかく、ロイヤルミルクティーばかり飲んでいた人間が初めて飲んだシナモンティーのように刺激的。私は吉田と自分の作り出す、その創造的な空間が大好きだ。
吉田はよく漫画や小説を読み、映画を観る。良作を確実に目利きできる男だと思う。人の心の機微をそこはかとなく表現したような作品もよく、高く評価している。しかし、いざそれが自分と他者とのこととなると、驚くほど淡白で、何事にも執着しない。解るけど、分からない、そんな風に見えることがある。
その日も、私の高校時代の話を熱心に聞いてくれた。私のある親友への執着、嫉妬、羨望、そんな感情を起点とした、不毛な行動の数々を、吉田はまるで、一つの物語を観賞するかのように、じっくりと、最後まで聞いてくれた。
そして「それ、小説に書きぃや。」と、晴れ間の小雨のような提案を私に投げかけた。実は、私の中には既にその欲望は芽生えていて、後は何かのきっかけがあれば、と考えるほどでもなく、考えていた。
吉田は真っ新な自分に、さまざまな物語を蓄積していく古き良き映画館のような男だ。私はその映画館で、お気に入りの作品を何度も観賞したり、深夜だけやっているマニア向けの作品にたまに手を伸ばしたりする。
私は映画館と友達だったのか。
私の友達は、映画館だったのか。
私は映画館で良い作品を、たっぷりと観賞した後のような充足感に包まれながら、感謝の思いを込めて吉田をじっと見た。

(…………ああ、痩せたんか。)

ついでに縮尺の謎も解けた。



0コメント

  • 1000 / 1000

かほ

書きたいこと書いていく場所