嫌いなところが千も万も言えるような恋

吉田の勧めでドラマ「デート~恋とはどんなものかしら」を観た。(ネタバレ含む)

脚本の古沢良太さんは、あの名作ドラマ「リーガル・ハイ」も手掛けた知性溢れる脚本家だ。

簡単に言うてしまうと、理系で国家公務員の依子と、文系で生まれてこの方社会に出たことがないニートの巧の恋。二人とも、人間の愚かさを混ぜ合わせて煮詰めたような痛々しさを抱えている。


合理主義で他人の心の機微が読み取れない依子。

精神性を重んじ、非常に繊細で無職の自分を「高等遊民」と自称してプライドを保っている巧。

常に二人の言動と行動は対比的に描かれる。二人はデートを重ねるが、精神的に惹かれあう描写は最終回前話まで一度も描かれない。考えの不一致、趣味趣向の違い、度重なるすれ違い、傷つけあって、罵りあって、幾度となく交際の終わりを告げ合う。

二人はお互いに、心から自分に恋をしてくれている新たな恋人を見つけ、やっと幸せを感じることができる。

楽しくて、嬉しくて、「これが恋というものか。」と依子は初めて普通の女の子らしい笑顔を見せる。


しかし、最終回でその全てがひっくり返った。

二人は必死に否定をするのに、嫌がっているのに、うまくいきっこないとはっきり解っているのに、周りの人たちに「お前たちは、恋をしている。」と突きつけられる。


私も、恋とは一体なんなんやろうか、とここまで見てさっぱり分からなくなってしまった。

私たちは、恋愛というものに、多くの荷を背負わせすぎているのかもしれない。

相手を尊敬し、自分自身が精神的に成長すること。

自分の知らなかった物事の面白さを共有し合い、視野を広げること。

お互いに支え合うことで、仕事や家庭などを順風満帆な航路にのせること。

こういう視点は全て恋に付随するものであって、「恋」そのものとは全く無関係なのかもしれない。


恋とはもっと、無価値で、謎で、およそ論理的に語ることなど不可能な、根源的な衝動のように思えた。そしてこの話は「運命」と「偶然」というものの類似性というか、一つ違えば全てが違ったかもしれないと思わせる人間関係の脆弱性というか、そういうものの上で成り立つ、いや、「うっかり成り立ってしまった恋」を描こうとしているように思った。

なんで、この二人がお互いに恋をするのか、全話を通して全く理解できない。

「自分に無いものをもっている」などという甘い表現では説明がつかないほど、好意的な感情というものは見いだせなかった。

だけど、いなくなったらただ喪失感があって、感情を露わにせずにはいられなくて、嫌なところが千も万も言えるほど、相手が頭の中を占めている。

すごい恐ろしいものだな。正気じゃないよな。

私も1時間、その人と話すために5時間待っていたことがある。

合理性の欠片もない、面倒くさい、苦しくて腹が立つ、もしそれこそが恋だとするならば、私は恋している相手とはとても一緒にはいられねえな。

でもその隙間隙間で、相手が発したたった一言で、全てが帳消しになるような喜びに包まれることもある。だから恐ろしいんだよな。あーやだやだ、解脱したいよ。

しかし、おもしろかった。本質的な部分を描こうとするけど、いつもどこかコミカルで、なぜか逆にリアリティを感じる。これぞ古沢良太という感じの作品でした。


特に!第2話で、巧がフラッシュモブでプロポーズをしないといけなくなったが、時間のやりくりが上手くいかず、3分間で自分の身の上を話した上で踊りださなければならない、という状況に陥り、めちゃくちゃかいつまんで要点だけを早口で話した結果「母に代わって寄生する相手を見つけるしかない!あなたの資料を見てビビッときたんだ!国家公務員なら給料も安定しているし福利厚生もしっかりしているしリストラもない!寄生するなら、もう!この人しかいないと思ったんだ!!!」て捲し立てた直後に広末涼子の「大スキ!」にのせてラブリーな踊りし始めるところめっちゃくちゃ笑った。カオス!


夏休みが近づいてきてテンションが上がっている。

選挙結果とか、いろいろ、憂慮するようなこともあるものの、あるものの…た、楽しみぃ!

本読むぞー映画観るぞー!食べるぞ呑むぞ笑うぞー!高等遊民になるぞー!!!

遊んでください!!よろしくお願いしやーす!


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