映画「わたしをくいとめて」すごく、なんだろう、なんでもなかったような、随分後になってもふと思い出すような、内省的な場面がよかったなあ。
綿矢りさの正直さ、というか、意識の流れに忠実なところ、大好き。
「くそ上司が優秀な人に立場を奪われていく様をざまあみろ、と思うけど、自分自身も本当はその人の優秀さを歓迎していない。」
こういう、本当のことを、わざわざ書くことに意味があるんだよなぁ。
なんだかやる気が湧きにくい。
やることはやっとるんですが、何か一つ一つの動作に喜びが伴わない。
難しいよなぁ。外からエネルギーを受け取れることが少ないんだよなぁ。
だから自家発電しなきゃなぁ、と思って少しずつだけど、音楽を作っているよ。
こういう時に誰かと話したいなぁ、と思う自分の月並みさが嫌だった。こういう時にこそ内に籠って自分の声に自分で耳を傾けて、何かを創り出せる人になりたかった。
でも話したいなぁ、私はやっぱり。
月並みな私が、私。
でも誰とでも話ができればいいわけじゃなくて、つい、その場の雰囲気に合わせてへらへら笑ってしまう私が、頑張ってへらへらしなくても話せるあの人と話したい。
でもあの人は今忙しい時だから
あの人とは、長く連絡をとってないから
あの人は、ついこないだ話したばかりだから
あと、電話で話すのでもいいな、という人と直接会わなきゃだめだという人がいるんだよな。
あと、傍に娘がいてもいいという人と、娘がいない時じゃないと嫌という人もいる。
人の関係って不思議ねー。
私の中に存在する数多の私の内の一人が、あなたと話をしたいと言っている。
全く世の中がよくない。
こんなじわじわと長く、少しずつ、生殺しにされるような災害があるんだなぁ。すごい。
もちろんただの風邪ではないのだが、やっぱり若者が今これをやらねば、ということはやったらいい、と思ってしまう。
みんなで心を病んでいく必要はないように思う。
罹っちゃったらきちんと療養して、また頑張ろう。それしかないよな。
重症化リスクの高い人に、申し訳ない発言だろうか。そうかもしれない。
しかし若者の健やかな成長、一生の支えになっていくような他者との繋がりや活動、それ以上に大切なものなどない、というのは私の正直な意見だ。
医療の逼迫度合いをよく意識して、大人である私は色々なことを我慢しようと思います。
一年前のブログを読み返すと、一年前の私の方がもっと誠実にこの問題と向き合ってた。
一生懸命悩んでて、もがいてて、偉いなぁ、と思った。
慣れてはいけない。
慣れないと生きていけない。
難しい問題だよ全く。
私にとって今は大切な友人の結婚式が何より大事で、これ以上に急を要するものなどあろうはずがないのに、本当に腹立たしい。
友人は大人なので、我慢していて、えらいです。
でも、そういう何にも代え難いことは、気兼ねなくやるっきゃねぇよ、楽しむっきゃねぇよ、と思う。
いいんだよ、そういうのは、やっちゃえばいいんだよ、それをやるために、我々は不要な対面を無くしていくんだよ、環境を整えていくんだよ、ていうのが、当たり前のような、風潮が醸成されていってほしい。
ので言う。
このやる気の出なさを解消するために最も必要なものがなんなのか、本当は、私はもう気がついている。
それは、
目標でもなく、
希望でもなく、
応援でもない。
ストーブだ。
家が寒すぎる。
買ってきます。
かほ
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