早い。早すぎる。
あっ。
明けましておめでとうございます。
一年の過ぎゆく早さに呆然と立ち尽くしている内に年を越していました。
昨年も、この文章を読んでくれている方々には、さぞかしお世話になったことでしょう。
いや、そうでもないで、という方も、これを読んでくれているという時点で既に私にとって有り難い存在であることは確かです。
昨年は、生身の私が生身の誰かに会って話せるということが一昨年に比べれば多くなって、ほんとに生身の強さ、生身の充足感をこれでもかというほど実感しました。
レスポンスのテンポ感とかね、同じお酒を分け合う喜びとかね、何にも代え難い。
オンラインの限界がよくわかった。
今年は、楽しい年にしたい…ほんまに…。
………今年は楽しい年にしたい。(2回目)
自分自身がいっぱい笑いたいし、
側にいる人にいっぱい笑ってほしい。
いまさら中学生の時の抱負に立ち返った感じがするけど、ほんまにそう思う。
年末年始の大阪帰省がそりゃあもう、どえらい楽しくて、幸先が良い。
この歳になると、母の凄さが身に染みて、こりゃあ真似できんなぁ…と、ひしひしと感じた。
母のご飯が美味しくて美味しくて。姉の好きなもの、私の好きなもの、孫たちの好きなものを、たーんと用意してくれる。そして、いつも会話の中心にいる。私たちは童心に返って母の手の上でころころと転がっている。
いつもお正月に作ってくれる鶏の治部煮が、ほわほわと柔らかくてほんのり甘くって、昨年のわだかまりや先の不安を全て解いてしまった。
三十を越えた娘を尚励ますような「我が家の味」を作り上げてきた、作り続けてきた母は、まったくもって偉大だ。
真似はできないけど、真似をしていかなきゃいけないのだ、と口いっぱいに治部煮に頬張る娘を見て思った。繋いでいきたいよな、この、味とか、安心感とかを。娘の帰る場所をちゃんと構築していきたいよな。
今年は、身内をすごく大切にしていきたい。
基本、私は身内を後回しにして、蔑ろにしてしまうところがある。仕事とか、社会とかの円環を優先してしまうところがある。
どっちも大事だが、身内を蔑ろにしない。一番大切にする。なぜなら一番大切だからだ。でも私は、その「身内」の範囲をなるべく広げていきたいな、と思う。どっしりと、樹のように、落ち着いて、大切な人の苦しみを自分のことのように考えていきたい。
大したことはできなくても、その人が、ふふっと笑えるまで、一緒に悩んでいたい。
人の幸せを、心から喜びたい。
人に突然訪れる不条理に、腹を立てたり、なるべくそれを払うような行動を起こしたりしたい。
ふんわりとした抱負になってしまったけど、治部煮がふんわりとしていたので、しょうがない。身も心もふんわりとしているのだ今私は。
年末、親友たちから、昇進、結婚、妊娠、子育て、夫の単身赴任、などなど様々な近況を聞いて、本当に私たちは支え合いながら、戦っていかなきゃいけないんだと、強く思った。
どんなことも目の前の相手に素直に開示できる彼女らは本当に素晴らしいし、どんなにか辛かったであろうと思う話ですら、面白おかしく相手が笑えるようにと話す彼女らは、世界一優しい。
なんとかその優しさに報いたい。もっともっと笑ってほしい。笑わせてあげたい。
これは、中学生の頃に考えていたこととまるで同じで、成長していないようにも思うが、でもきっと、その時以上に相手を想う、切実な心によるものだと信じたい。
今日、車で大阪から自宅に帰る途中で立ち寄ったサービスエリアで、娘とトイレに行くと、娘がおしっこを出しながら、ものすごく静かな声色で
「はぁ…大阪……楽しかった……。」
と言った。あまりの「こぼれ出た感」にトイレの個室で大爆笑してしまった。
最高な呟きやん。燃え尽きた時の「あしたのジョー」と同じ体勢やし。
これぐらい、こぼれ出てしまうくらい、楽しめることが多くあったなぁ、と自信をもって言えるような一年にしたい。しよう。する。せねば。
それには、これをここまで読んでくれているような方との繋がりが不可欠です。
どうぞ、本年も宜しくお願いします!
かほ
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