散歩中に近所の畑の前を通りかかると、お爺さんが一人、大根を抜いていた。
冬場でもしっかりと日に焼けたその顔には力が漲っているように思われた。何気なくその動きを目で追っていると、ふいにお爺さんが腕でぐいっと顔を拭った。まるで溢れてくる涙をこぼすまいとするように。
(泣いてる?)
小春日の日差しは眩しく、お爺さんの表情までは読み取りにくい。しかし片手に大根を一本抱えたまま、お爺さんはしばらくの間、何かの感慨に耽るかの如く、その場に立ち尽くしていた。
涙が出るほど、大根が良い出来であったのかもしれない。そんなことをぼんやりと思いながら私はお爺さんの横を通り過ぎ、振り返ることなく歩き続けた。
いや、泣くほど良い出来の大根ってどんなんやねん。食べてみなわからんのんちゃうんか。私は赤信号を見つめながら立ち止まる。
いや、収穫に至っただけで思わず目頭が熱くなる大根であったのかもしれない。まるで今は亡き親友の情熱を思い出した刹那かのように。私は歩行者用青信号の点灯を確認してから、その中に描かれる歩行者と同じくらいの歩幅で歩き出す。
あのお爺さんには今でもふとした瞬間に思い出してしまうような大切な友人がいたのかもしれない。二人は幼い頃からこの町で、毎日誘い合っては遊びに繰り出し、秘密を共有していたのだろう。私は郵便局のポストに手紙を投函する。もうすぐ私の大切な友人の結婚式が催される。もちろん全ての「御」に二重線を引き、参加の意思を示した。
あのお爺さんとその友人は、きっと家庭環境も性格もまるで違って、それでも何か、シンパシーを感じていたに違いない。成人して友人が東京に暮らし始めてからも、手紙などで細々と交友を続けていたのだろう。友人は東京にある日本有数の大学で、農学を学んでいたのかもしれない。私は歩道橋を渡り、冬の物悲しい桜並木を眺める。
お爺さんがお金を貯めて東京に出て行くと、友人はさぞかし喜んだにちがいない。二人で新宿御苑の満開の桜を眺めながら、互いに夢を語り励ましあった日もあっただろう。
「なかなか、教授の奴らは頭が堅い。辛味の無い大根を品種として生み出すことは難しいなどと端から弱腰でいるのさ。」
そんな東京かぶれのキザな物言いで、お爺さんに愚痴をこぼしたこともあったかもしれない。
「そうだいね。そしたら俺が、お前の言う通りに、大根こさえたらええだがんね。」
この時に友人の夢は、お爺さんの夢にもなったのかもしれない。私は他人の家の庭に咲いている色とりどりのパンジーを眺める。白いパンジーがとりわけ美しい。
友人はつい最近、亡くなったのかもしれない。それまで、何十年もの間、メールが使えないお爺さんのために、いつも美しい筆致で書かれた手紙によって、研究の成果は伝えられていた。冬にあっても強く咲き続ける白いパンジーが便箋にはあしらわれていた。そして、友人のお通夜に、お爺さんは友人のお孫さんから、最後の研究結果と、大根の種を同封した小包を受け取ったのだった。
だからあの大根は、きっと辛味がなく、子どもが生で齧っても思わず顔が綻んでしまうような、優しい甘みを備えているに違いない。
友人の情熱によってお爺さんの努力によって実を結んだあの大根はきっとこれから多くの人に愛される、そんな大根になっていくのだろう。
私は果てしない思いで小春日の青い空を見上げた。今日はやけに日差しが強い。眩しさに滲んできた生理的な涙を拭くために、私は腕でぐいっと顔を拭った。
かほ
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