箱。箱。箱箱箱。
算数の授業に使う教材のために立方体の箱を求め、スーパーをうろつきはじめてから、かれこれ20分。
あらゆるタイプの直方体の箱を睨みつけながら、ひたすら縦、横、奥行きの長さを見定め続ける。
確かにな、売りたい物が丁度よく収まるサイズがたまたま縦横奥行き同じ長さってな、確かにな〜ないよな〜。
それからもしばらく店内の徘徊を続け、血走った目で雑貨の棚を見続けていたその時、ついに私は一つの立方体に出会ったのだった。
ぐでたまっ!!
それはぐでたまのシールが20枚入っているという、手のひらサイズの立方体の小箱だった。
小さい、正直小さい、が、ないよりはまし!
ということで200円を支払い購入した小箱。
家に持ち帰り、中身を娘にあげようと早速開封に取り掛かる。
「シール、シーールーーたまごのシールー」
即興オリジナルソング「たまごのシール」を歌う娘に急かされ、蓋を開ける。
が、なんと、小さな箱の中身は、空だった。
シール20枚どころか、1枚すらも入っていない灰色の空洞。
数秒固まっている私を見つめる娘。
「空や。」
「え?なんで?」
「あーー多分、万引きやなぁ。」
「マンビ、?」
「泥棒に盗られてるわ。」
「ええ!!!」
生まれて初めて泥棒の被害を被った娘。
しばらくの間、納得がいかないようで「泥棒さんはすぐにシールを返さなければいけない。さもなくば動けなくなる魔法をかけることも辞さない」というような論をぶつぶつと展開していた。
一方の私は、ものすごく複雑な思いに駆られていた。知っている。この感覚を、私は知っている。
虚しいのだが、それだけじゃない。
悲しいのだが、それだけじゃない。
イライラするが、傷になるほどじゃない。
あぁ、これはあれだ。
娘が生まれたばかりの頃の外出すらままならない日々の中で感じていたあの複雑な心情に似ているのだ。
私が欲しいのは、「箱」なのだ。
箱は、手に入っている。
欲しいものが手に入っているのに、満足をすることができない。
そこはかとない虚しさ。
人に伝えるほどでもない悲しさ。
でも、欲しいものは、大切なものはここにある。
まるで、大切な娘がすぐ傍にいながら、生まれて初めて感じる独特の孤独感にいつも少しだけ怯えていたあの頃の感覚だ。
私には娘がいる。
私には箱がある。
それでも頼れる人が今ここに居れば、と思う。
それでもぐでたまのシールが今ここにあれば、と思う。
うん。
いや、うん、やあるか。
どこに着地しとんねん。
何と何を重ねて感傷に浸っとんねん。
よぉぐでたまのシールと大切な親友をシンクロさせられたな。
感覚の類似性ってすごい。
あーーあ。
どうしてもどうしてもぐでたまシールが欲しかったお子様に200円奢ってやったことにしようか。
うん。
箱を机の上にポイと放り出して私は晩ご飯作りに取り掛かった。
かほ
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