めちゃくちゃネタバレです。
エレンの死が辛くて辛くて、寝ても覚めても辛い。
エレンの大罪は疑う余地が微塵もなく、罪でしかなく、時間をかけてでも対話を試みて人類全体としての最適解を見出そうとするアルミンと比較すると、破壊的で破滅的でまじで救いようのないクソ野郎だと思う。
「生まれながらにして、自由を求める魂の持ち主だったから」と言われても、殺された人達の誰が納得するだろう。
だけど、子供の頃からエレンの生い立ちを追ってきた私は、エレンが犯した大罪を、許してしまいたくなる。
許されるわけがない。
アルミンなら未来が見えたとしても実行しなかっただろう。
私は「世界中を敵に回してもお前らを守る」っていうワンピースみたいな考え方は嫌いだし、大人として正しいものの見方ではないと思う。
「巨人化の力を永久に無くす」という目的があったにしても、その犠牲として人類の8割の命というのは、見合わない。
「もしお前たちに止められる結末が分かってなくても俺はこの世のすべてを平らにしてたと思う。」
結局これがエレンなんだ、と思った。
やりたいからやったんだよ。
やりたいからやったんかよ。
なんでなん。
なんでなんや。
いやぁ、史上最悪の殺戮者として永遠に語り継がれる人間が死んで、こんなにも悲しいなんてなぁ。
私はエレンに生きて自由になってほしかった。
アルミンが破壊行動に突っ走るエレンに「君のどこが自由なのか」と問いかけた時、
ほんま!それ!と思った。
エレンは死ぬまで、不自由だった。
人類の大虐殺が行われている最中、それを上空から眺める子供の姿をしたエレンが、
「これが自由だ!」
と叫んだ後、ふと見せた表情。
あれが、自由を得た人間の表情とは到底思えない。
自分が見た未来に向かって突き進んだ、進撃の巨人。
母親を殺させ、父親に王家を殺させ、幼馴染を突き離し、人類を虐殺した。
こんなにも不自由な存在はいないじゃないか、と悔しさが募る。
だけど、私はエレンが死んで悲しい。
彼らが本当の自由を生きて手に入れることを、願っていたよ。
エレンの横にはいつものようにミカサとアルミンがいて、3人で心の赴くままにどこまでも歩んでいくことを、どんな絶望的な状況でも、願っていたよ。
愛しているから奴隷であり続けたユミルは
愛しているから決別する、と決断したミカサに救われたということかな。
愛というものが人をがんじがらめにしてしまうこともある。
エレンは、愛や、差別や、憎しみその他あらゆるものから、自由になりたかったのだろう。
自分も含めて、この世のすべてを平にしたかった。
でも、ミカサやアルミンや仲間の命をそれに含めることはできなかったと、信じたいなぁ。
やっぱり、ミカサやアルミンが止めにくる未来があったからこその決断やったと、思ってはいけないだろうか。
アルミンと道で話していた時の
「自分でもちょっと何やってんだろって思いながら〜」とか
「10年以上は引きずっててほしい」とか
「死にたくねぇ」とか
そういうエレンの心が尊くて、そのままで生きることが出来なかった運命というか、大きな流れが憎い。
なるべく未練なく死ねるように生きなあかんと思った。
放っておけば下の世代に持ち越すだけの問題と向き合わなあかんと思った。
エレンは次世代の人類を救ったという見方ができなくもないわけで、なんとも、いかんともし難い状態の私である。
エレンという人間を評価することは、まだまだ私如きにできることではない。
でも私はミカサと同じように事あるごとに、エレンのことを思い出すよ。
また会いたいと思う。
あーーーー終わったなぁーーーー
終わったかぁーーーー
あーーーーーーーー
寂しいーーーーーーーー
本当にお疲れ様でした諫山先生。
ありがとうございました。
かほ
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