西加奈子のエッセイ「まにまに」を読んでいると、西加奈子がいかに明け透けで、感情豊かで、その感情に正直に生きている方かということがよく分かる。
「友人に褒められたい。褒めてもらえない。そういうとき、私はほとんどはっきり、友人を憎んでいる。」
こういうことをスパッと言えてしまうのは、私からすると、本当にすごいことだ。
それでも決して下品な感じはなく、ユーモアを多分に含んだ知的な筆致が心地よい。茶目っ気のある可愛い人だ、と思う。
私はこんなに素直に、人からの「褒め」を受け取ることができない。
自分自身が人を褒めることにかなり慎重というか、皮肉やお世辞と取られないように気を遣いすぎることが原因なのかもしれない。
口に出してあからさまに褒められてしまうと、ついその人の裏側というか、真理を探ってしまうような嫌な部分が確かに自分にはある。
しかしそんな私に、今でも忘れられないような心から嬉しい「褒め」というものを与えてくれた人もいる。
それらの言葉を思い返すと、やはりそこには私のような偏屈な人間でも、ついうっかりと字義通りに受け取ってしまう一工夫というか、皮肉を考えるよりも早く真に迫ってくる何かがあるような気がする。
そういう言葉を思い返しているとなんだか幸せな気持ちに包まれて、過去の褒めを駆使してくださった方々への感謝が湧き出してきたため、これまで私に投げかけてくださった技ありの「褒め」を存分に褒めてみたいと思う。
1、「するめやな。」
これは大学時代の友人が卒業の折に与えてくれた「褒め」だ。
一見すると、「褒め」か?という文言だが、この頃の私たちは就職活動などから「自分を見つめて自分の強みをなんとか上手いこと言う。」ということを強いられる場面が多かった。
そんな中で「自分を食べ物に喩えると?」という謎な設問に答えを出さねばならない理不尽な場面も少なからずあり、力を合わせて各々のベストアンサーを捻り出す日々だった。
そんな会話の中で友人が私を喩えてくれた食べ物が「するめ」だった。
「噛めば噛むほど味が出る」の代表選手でありながら、庶民的で、誰にとっても馴染みがある。素材ではなく、加工品であるというところも、努力や過程に重きを置く私にとっては嬉しい言葉だった。
しかし「するめやな。」と烏賊の加工品に喩えられた時に「え、そう?うへへ…」と下を向いて照れた自分は今思い返すとまぁまぁ気持ち悪い。若さ、という感じがする。
2、「月(ライト)みたいになってた可能性もある。」
これも大学時代に友人から誕生日のメッセージとして受け取った言葉である。
その友人は、私のことを「頭の回転が早い奴」と思ってくれているようで、そのことをひとしきり褒めた後、「その力を良い方に使っているところが良い。」と評してくれた。その言葉に続いて記されていた文章がこれだ。
「もしその力を悪い方向に使っていたとしたら、デスノートの月(ライト)みたいになってた可能性もあると思う。」
そのメッセージを読んだ練習室で一人、声を出して笑ったことを今も覚えている。いや、あそこまでになってた可能性はないやろ、というツッコミを入れながらも、「力をもっている」ことが大切なのではなく、「もっている力を良い方に使っている」ことが大切なのだという慧眼を得ることができた。
大切にしたい言葉だ。
3、「色んなことがちょっとずつおもしろくなくなってる。」
これも大学時代に友人が手紙にて与えてくれた言葉である。
ちょっと待て、私、大学にしか褒めてくれるような友達おらんのか?
そ、そんなことない、ないない。
ないはず。
この言葉は毎日のように顔を合わせていた友人と、就職活動が始まり、サークルを引退し、必然的に会う回数が激減した頃に貰った手紙に記されていた内容である。
「かほと一緒にいることが減って、色んなことがちょっとずつおもしろくなくなっている。」
なんという小粋な「褒め」であろうか、と10年ぶりに思い返してみてもやはり、涼しい風を受けながら美味しいお酒に酔い始めた瞬間のような気持ちよさを感じることができる。
「あなたといることが楽しい。」
「あなたと会えなくて寂しい。」
「何をしていても、あなたの存在が力になっている。」
そういう様々な気持ちを正直に掬いとって、日々を見つめたところに「あなたがいなくて、色んなことがちょっとずつおもしろくない。」という表現があるような気がする。
「ちょっとずつ」というところに、周りを思いやり、自分で生きていく強さを十分に蓄えた彼女の人柄が出ているな、とも思う。
自分も、ここにあげたような褒め方ができればなぁ、とよく考える。
しかし、「こういう褒め方をしよう。」と考えている時点で、もうそれは作為的で、表面的な褒めにしかならないのではないか、などど小賢しく考えて、また口をつぐんでしまうということの連続だ。
それでも相手を好ましく思っていることや、その素晴らしさを讃えたいという気持ちを諦めることもできず、突然「飲みに行きませんか!?」と突撃することが私の最終兵器だった。
最終兵器を国に取り上げられたような気分で悶々としている人間が、どうか私の他にもいるということを信じたい。
や〜飲みたいなぁ〜!!
こんだけ書いて、結局着地点ここかぁ〜!!!
かほ
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