春。
生温い空気に包まれながら歩く。
風に落ちた桃の花びらは一枚、一枚、微妙に色が違って、それを綺麗だ、と思うのに、避け切ることも出来ずに踏んでいく。
春はそんな季節だ。
全てが肌の温度のようで、優しくて、でも抗えない痛みを含んでいる。
この歳になって、その痛みは、むず痒いと言える程度になってきた。
昔はもっと痛かった。
昔、コーヒーに入れるミルクのCMを見て、そのミルクの白がコーヒーの黒と踊るように美しい渦を描いていく様子に憧れた。
少し大きくなり、初めてコーヒーにミルクを入れる時、何度も何度もスプーンでコーヒーをかき混ぜて、コーヒーの中心が凹むほど回転の流れを作った。
CMを思い出しながら、ミルクをカップの端からそうっと垂らすと、そのミルクはコーヒーの表面に触れたそばから滲んで、溶けて、コーヒーの一部と化した。
私はほんの少し驚いて、次にきっと私のやり方が悪いのだ、と思った。
その後、何度も何度もコーヒーをあらゆる速度で回転させ、ミルクを慎重に注ぎ続けたが何度やっても結果は同じだった。
ミルクを入れすぎて、コーヒーは「どちらかといえば白」といえるような甘い色合いになってしまった。
後に、あのようなCMはミルクに模したボンドのような素材で撮影するのだと知った。
私は「あれ、ボンドやったんか…」と小さく呟いて、その次から必要以上にミルクを素早く一気に入れるようになった。
多分、私はあの時傷ついていたのだと思う。
大学生の時、「モスバーガーの食べ方教えれ」というスレッドが話題だと、友人に教わりそれを友人ら4人で読んだ。
モスバーガーの上手い食べ方を必死に説明している人がいるのだが、読めば読むほど意味が分からない文章で、懸命に最後まで読み終えた時に、それでも全員が何も理解できていないという面白さがツボにはまり、本当に腹が引き攣るほど笑った。
数年後、モスバーガーを食べた時にそのことをふと思い出し、ネットで検索をかけてみた。
すると、そのスレッドにはある部分を縦読みすると「まあツリだけどな」という暗号が隠されていると書かれたブログや記事が散見された。
私は妙な恥ずかしさを覚え、じゃあ私たちのあの時間はなんだったのだろうか、と少し切なくなった。
春になるとこういうくだらないことばかりよく思い出す。
この頃は、これくらい繊細で、一人一人との別れが、切なくて、痛くて、怖かった。
振り返ったら誰もいないような気がして、振り向かずにずっと夕陽を眺めている。
今でも、春にはそういう焦りと切なさがある。
いろいろと、思い通りにはならなくて、大きな流れに逆らうこともできなくて。
自分の進むべき方向を見定めることしかできなくて。
築いてきたものを自分たちで片付けていく。
別れの準備を笑いながら整える。
春。
私は、それでもあったんだ、光り輝くようなあの時間は確かにあったんだ、と噛み締めて、だからここまで来られたんだと自分に言い聞かせるようになった。
最後の学活。
自分のために一人になる勇気をもってほしい、と子どもたちに伝えたいと思う。
一人ぼっちになれる強さをもって、また新しい関係を築いていってほしい。
私もそうしたいと思う。
がんばろう。
かほ
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