イヤリングが大好きだ。
アクセサリーの中で「必要性」を感じるものは、ネックレスだけだ。
単純に首元が寂しい。
大好きなムーンストーンやオパールが、首元でその時だけの色彩を持って光ると、心が躍る。
しかしネックレスはあくまでも、必要性に迫られて着けている、という側面が強い。
指輪やブレスレットは全くもって必要ない。
邪魔だ。
指がコンプレックスであるというのもあるだろうけども。
そんな中、唯一、アクセサリーとしての本来の目的を保ち、必要性はないかもしれないが身につけたい、着飾りたい、と私に思わせる存在がイヤリングだ。
気に入ったイヤリングを見つけると、軽く拳を握りたくなる。
鏡の中でチャームがチラチラと揺れるのを見ると、ほら見ろ、だからショートカットが一番なんだよ、と誰に向けての「ほら見ろ」なのかは分からないが、妙に誇らしい気持ちになる。
しかしだ、最初は相当いい気分で、鼻歌まじりに過ごしていても、時間が経つにつれ、あれがやってくる。
そう、「耳たぶ痛い」がやってくるのだ。
一度痛いと思ったらもう駄目だ。
目の前で友達が辛い身の上話をしていても、感動的な結婚式の一幕を迎えていても、もう「耳たぶ痛い」。それ以外には何も考えられない下等生物に成り下がってしまう。
「うん、うん、そうやんなぁ〜」とか適当に相槌を打ちながら、そっとイヤリングを耳から外す。
無くさないようにと、鞄のポケットにでも仕舞い込む。
それを忘れる。
数ヶ月後に、チャームが外れ無惨な姿になったイヤリングの残骸を見つけて罪悪感に苛まれる。
購入した値段を、使った回数で割って、舌打ちをする。
その繰り返しだ。
このような話をすると、体感9割を超える確率で言われるのが、
「ピアス開けたらええやん。」
だ。
嘘やろ、と思う。人体に穴を開ける行為がここまでフランクに語られるもんかね。
めちゃくちゃ敏感に心の機微とか読み取って、話にすごい共感してくれる友達とかが、真顔で「ピアス開けたらええやん。」て言うてくるの若干怖いねん。
自分は割と、ありきたりな考えをする方やと思うし、二択問題とか、多数派に入ることが多いし、あの、ネプリーグの風船のやつとか、ほらあの、何%の人がそう思ってるかみたいなやつ、あれとか、よく当たるし……
何言うてるかわからんくなってきたけど、とにかく生きてきた体感として、ピアス開けてる人が多すぎるねん。
お洒落のために耳たぶに穴開けられる人がこんなにおることが衝撃やねん。
何を必死になってんねん私は。
ここまで話した時に、もう大体の人はめんどくさそうな顔をしている。
仲の良い人は「めんどくさいな!」とはっきり言ってくれる。
ほんで「そこまで痛くないで?」とか言うてくる。
違う、そういうことじゃない。
痛いか痛くないかとかじゃない。
いや痛いのも嫌やけども、そうでなくとも、さぁ。ほら。
みんな、その穴開いたところの断面とか、本気で想像したことないやろう?
なんで穴開いたところの断面を本気で想像すんねん、と言われたら、言われたら…困る。
困るから言わんといてくれ。
要約すると、怖い!
なんで怖くないんや!
なんで怖くない人が世の中にこんなにおるんや!
怖いけど乗り越えてんのか?
怖いけど乗り越えて耐えるほどピアス付けたいんか?
そうかぁ…。
うちの親は60歳にしてピアスを開けた。
確かにその頃になると、色んなことがどうでもよくなってきそうだな。
そのころにはロングヘアーに細かいパーマ当てて軟骨にもピアス開けて全部の指に指輪はめてる可能性だってあるからな。
可能性だけの話で言ったらな。
こんなことを考えたのも、今日はリモートで、ちょっとしたパーティーがあるからだ。
イヤリングを付けようか、付けまいか、悩むところだ。
いつもなら自然と外せていたイヤリングだが、リモートとなると、あ、イヤリング割と早いタイミングで外したな、と参加者全員に思われる可能性もあるからな。
さぁどうするかねぇー
わくわく。わくわく。
かほ
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