GW記録①

喉が嗄れている。
低学年の担任になるといつもこうだ。
咳が止まらなくなる瞬間が何度かあり、(医療ドラマで重要人物が咳き込んだと思ったら掌に血が、の時の咳やん)などと思う。
しかしそれでも、大阪へ行く。
車で行く。8時間かけて行く。這ってでも行く。這って行ってたら絶対にゴールデンウィーク終わるけど行く。

なかなか会えていなかった人たちに会える予定。嬉しい。頭の上にふわぁっと花を飛ばす演出をする機能が人体に備わっていたら、8時間、夜通し私は花を頭上に飛ばし続けただろう。現実には私の咳とeastern youthの曲と娘の寝息が響く暗い車内だ。月が朧に光っている。こんな状況下ではおそらく(思いやりなどという単純な道徳的価値に収まらない利他の精神こそが今後の世界には必要なはずだ)みたいなことを窓際に肘を付きながら物憂げに考えていると大層格好良かったことだろう。実際のところ私は、今晩両親と行く予定の焼き鳥屋のメニューばかりを頭に思い描いていて、(「こころのこり」っていうネーミング考えた人、絶対これキタ!ヤバいの思いついてもおた!と思ったやろうなぁ。うまいこと言えすぎてるもんなぁ。)などと窓際に肘をついて、物憂げに考えていた。

久々にいく我が家行きつけの焼き鳥屋は、相変わらず大盛況で、店内はバタバタと忙しない様子だった。
なぜか焼き場には一人しか店員がおらず、ホールも、一人の女性店員だけが回しているようだ。

焼き場の男性店員さんは少しイライラした様子でホールの店員さんを何度も呼びつけた。
「これどっちが先なん?置く場所気ぃつけてや。」
「ドリンク放置しすぎぃ!」
その注意の声はパン切り包丁くらいの攻撃性を含んでいて、それを受け続けながら小さく「はい。」と返事をする彼女に備わっている防御力が気になってしょうがなかった。

怒りというのは大切な感情だと思うが、同時に取り扱いの非常に難しいものだとも思う。
ああしてほしい、こうしないでほしい、何か思い通りにならないことがあると、人は怒りを覚えてしまうものなのかもしれないが、その怒りを原因に当たるものに素直にぶつけたからといって、求めていた結果が得られるとは限らない。
むしろ、怒りをぶつけたことによって生じる弊害はとても大きいのではないかと日々感じている。
それでもなぜ一定数の人は、相手の面前で、もしくは不特定多数の人間がいる中で、わざわざ怒りを顕にするのか。
私は共感を求めているのではないかと推測している。
こんなにも腹が立ってしまうのも致し方ないということを相手に、自分ではない誰かにわかってほしい。理解し、改善の必要性を感じ、謝ってほしい。慰めてほしい。
そしてこのやるせない怒りを誰かに鎮めてもらいたい、そのような欲求が心のどこかにあるのではないだろうか。
まぁつまり、「かまってと言えないパターンのかまってちゃん」が怒りっぽい人には多いのではないか、と私は常々考えている。

そのため、この時も怒りを客に見せつけるような音量で話す焼き場の店員さんに、少し不快感を感じてしまった。
焼いてくれる焼き鳥は、悉く美味しいのだけれども。

お客さんにまで、俺頑張ってんのに、こいつのせいでうまくいかへんねん、俺ちゃんとやってんのに、というようなことを伝えたいのね、嫌な人だね、と思いながら、地鶏のもも焼きを奥歯で精一杯噛み締めた。

その時ホールの店員さんが食事を運んできた。
「アボカドの鶏炙り乗せでございます。」
頼んでいなかった。
その旨を伝えると、「確認します」と呟き厨房に戻って行く。
しばらくして戻ってくる。
「なんか、注文は入ってました。」と言われる。
なんか入ってたんじゃない。あなたが入れたんや。絶対に頼んでない。でもまぁええやん、と頂くことにした。
アボカドうんま、と思いながらホールの店員さんを目で追う。
ドリンクの運び先を間違えている。
チキン南蛮がずっと来ないとクレームを受けている。
注文を入れてなかったことを厨房の店員さんに伝えている。
違う卓の番号でチキン南蛮が入ってるけどこれは!?と大きな声で言われている。
その卓に確認しに行っている。
え、頼んでませんよ、と言われている。

…………いやめっちゃミスるやん!!!
キレてまうのちょっと分かるわ!!!

ある一面だけを見て判断することの危険性を伝えてくれる焼き鳥屋やった。
いやまぁ、入ったばっかりやのに任されちゃったんかもしれんしなぁ。
焼き鳥が美味しくて、お酒が旨くて、父と母がにこにこしてるから、ええやないかと気を取り直した。

しばらくしてから「こころのこり」を頼んだ。売り切れだった。

唯一の心残り。


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